江戸時代に築かれた独創的な橋が日本三奇橋。とくに選者がいないので、自称三奇橋も当然ありますが、歌川広重も『六十余州名所図会』で絵にした橋が、甲斐国(かいのくに)の猿橋。山梨県大月市を流れる桂川に架かる橋で、百済(くだら)からの渡来人・志羅呼(しらこ)が7世紀初頭に架橋したのが始まりという伝承も。
国の名勝「猿橋」のルーツは7世紀!?



橋の分類でいえば刎橋(はねばし)で、江戸時代に全国に架けられたスタイルです。
川岸の岩盤に穴を開け、桔木(はねぎ)を斜めに差込み、その上にさらに空間に突き出す桔木を重ねという具合に何枚もの刎ね木使い(猿橋の場合は4枚の桔木)、川の真ん中の空間で結合させるという構造です。
猿橋という名は、志羅呼(しらこ)が、猿が互いに体を支えあって橋を作ったのを見て造られたという伝承から。
あくまで伝承ですが、実は『日本書紀』の推古天皇二十年(612年)の項に、百済の土木技術者・路子工(みちのこたくみ)が、日本に帰化したとあり、この路子工は様々な橋を架けたとされることで、地元に伝わる志羅呼こそが、路子工(これは職業的な呼び名です)の本名とも推測できるのです。
山梨県大月市猿橋町猿橋に現存する猿橋は、甲斐国入口、大月にあり、相模国、武蔵国との交流の拠点。
江戸時代には甲州街道の要衝でしたが、桂川が富士山の溶岩流で形成された峡谷となっているため、この特殊な形態の橋が架橋されたのです。
中世の古文書ににその名を残す猿橋ですが、現在の橋は昭和59年に架橋された人道橋。
部材は鋼鉄ですが、形状は嘉永4年(1851年)の橋を復元したもの。
【図解】早わかり猿橋の構造



