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『豊臣兄弟!』豊臣秀長ゆかりの城、大和郡山城へ!

『豊臣兄弟!』の主人公・豊臣秀長(とよとみひでなが)は、兄・秀吉の天下取りを助け、一説には織田信長の信頼度は秀吉よりも上だったとも。そんな秀長が築城した城は、和歌山城と大和郡山城(奈良県大和郡山市)。大和郡山城は秀長の居城でもあり、もっとも関係性の深い城といえるのです。

100万石の大大名として郡山城に入城

大和郡山城
大和郡山城

織田信長没後の天正13年(1585年)3月、豊臣秀次とともに紀州征伐で活躍した秀長は、6月には病気で出陣できない秀吉に代わり、総大将として四国攻めを成し遂げています。
その功績もあり、8月、秀吉から現有の紀伊国・和泉国に加えて大和国を加増。
天正13年9月(1585年11月4日)、名目的には100万石の城主とし、秀吉とともに5000の将兵を引き連れて大和郡山城に入城しています。

豊臣政権の中枢を担う重臣として従二位・権大納言(ごんだいなごん)に任じられ、秀長の呼び名もこのときに「羽柴大和大納言」となったのです。
大和郡山市内にある秀長の墓所の名も、 大納言塚(だいなごんづか)ということに。

まさに100万石の大大名にまで登り詰めたわけですが、5年後の小田原攻めの際には、すでに病床で出陣していないので、秀長の栄華は、まさに大和郡山城に尽きるといって過言ではありません。
実際の石高は80万石程度、しかも大和国、紀伊国は仏教勢力が強いこともあって、智将・秀長にしても統治は容易ではなかったのだと推測できます。
苦労しながらも、秀長は郡山城下町の経済振興を行ない、後に、住民による自治制度「箱本制度」へ発展。
繁栄の基礎を築いているのです。

天守台は往時のままに現存

大和郡山城天守台
天守台は展望台に変身

大和郡山城一帯は歴史公園として整備され、天守台の石垣も現存。
天守台も展望台として整備されています。
石垣も自然石を加工せず、そのまま積み上げた野面積み(のづらずみ)、しかも「逆さ地蔵」など石仏が転用石として用いられていることからも(和歌山城にも似た転用石があります)、戦国時代の名残りを今に伝えています。

天守台の土の中からは、金箔押しの飾瓦の小片も出土し、秀長時代の天守の瓦の一部だと推測できます。
発掘調査から秀長の建てたと推測される天守は、5階建てで、石垣もほぼ往時の姿に残されていることが明らかになり、まさに「豊臣秀長ゆかりの城」であることが証明されたのです。
天守が完成したのは1590年代前半。
はたして秀長はその勇姿を見ることができたのでしょうか。

『豊臣兄弟!』豊臣秀長ゆかりの城、大和郡山城へ!

大和郡山城
やまとこおりやまじょう

● 奈良県大和郡山市城内町
● 近鉄橿原線郡山駅から徒歩7分
大和郡山市公式ホームページ
【秀長の輪 大和郡山】秀長さんプロジェクト特設サイト

SMRT-TRIP編集部

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