選挙事務所に必ず置いてあるのが、片目が白い「だるま」。だるまには、モデルとなる人物がいて、それが達磨大師(だるまだいし)です。縁起物とされているのは、張り子のだるま。この張り子だるまは、群馬県高崎市にある黄檗宗(おうばくしゅう=禅宗)の寺、少林山達磨寺がルーツです。
「だるま」とは、仏の教え(真理)

達磨大師は、中国禅宗の開祖でインド人の僧。
だるまとはサンスクリット語でdharma(धर्म、ダルマ)、真理、教えなどの意味合いがある言葉です。
つまりは、仏の教え(真理)ということに。
6世紀、南北朝時代の中国に渡った達磨大師は、禅宗を伝えますが、鎌倉時代に元の支配による弾圧を恐れ、中国・南宋から高名な禅僧が多数日本に渡来し、鎌倉を中心に禅宗と禅文化が花開いていきます。
こうして日本にも達磨大師の教えが上陸し、各地に流布していきますが、北関東で核となったのが、黄檗宗(禅宗)の寺、少林山達磨寺(しょうりんざんだるまじ)です。
まさに達磨大師の教えを受け継ぐ寺ですが、実はここが「縁起だるま」の発祥の地。
だるまのルーツですが、中国との間で日明貿易が行なわれていた室町時代後期、中国から伝来した「不倒翁」(ふとうおう)まで遡ります。
「不倒翁」とは、倒しても起き上がる「起き上がり小法師」(おきあがりこぼし)で、不老不死や不屈の精神のシンボルでした。
粘土で重心を下におき、起き上がることを第一にしていましたが、あくまで翁(おきな)で、達磨大師ではありません。
江戸時代、江戸では致死率が2割〜4割もあった疱瘡(ほうそう=天然痘)除けに、赤く塗られた猩々(しょうじょう=中国の伝説に由来する想像上の生き物)などが流行っていましたが、赤い「不倒翁」もありました。
江戸時代中期の天明3年7月8日(1783年8月5日)、浅間山が大噴火、高崎あたりも火山灰だけでなく泥流が押し寄せ大きな被害を受けていますが、農民救済のために立ち上がったのが9代目住職・東嶽和尚(とうがくおしょう)。
江戸時代初期、中国からの渡来僧で、達磨寺を開山した東皐心越(とうこうしんえつ)の描いた『一筆達磨坐禅像』をベースに木型をつくり、張り子だるまの製造法を豊岡村の山縣友五郎(やまがたともごろう)に伝授したのが始まりです。

「だるま」はなぜ、縁起物!? 【だるまのルーツ高崎篇】
少林山達磨寺
しょうりんざんだるまじ
● 群馬県高崎市鼻高町296
● 少林山達磨寺公式ホームページ
● JR群馬八幡駅から徒歩25分
● 関越自動車道高崎ICから10km
(駐車場200台/無料)


山縣友五郎は江戸で人形作りの修行を積み、赤く塗られた猩々や「不倒翁」の流行を目にしていたので、高崎で生まれた張り子のだるまも赤く塗られたというわけです



