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鎌倉大仏は、かつて金ピカだった!

神奈川県鎌倉市、高徳寺に鎮座し、露座の大仏として知られる国宝・鎌倉大仏。源頼朝が奈良大仏にならって大仏建立を発願しましたが、没後に建築が始まり、建長年間に鋳造されたものです。かつては堂内にありましたが、後に大仏殿が倒壊、野ざらし状態になったのです。そんな鎌倉大仏、かつては金ピカだったことはあまり知られていません。

本来、大仏は金ピカなもの!

鎌倉大仏

有名な奈良・東大寺の大仏は、平安時代末に平清盛の命による南都焼討で、建物を焼失、大仏も大きな被害を受けていました。
そんな大仏に対して、鎌倉に幕府を開いた源頼朝は、東大寺・大仏殿の再建に尽力。
建久6年(1195年)、東大寺大仏殿の落慶供養には源頼朝、北条政子が揃って出席するなど、頼朝・政子夫妻が大仏好きだったことがうかがえます。

奈良の大仏は銅の比率が9割以上であるのに対し、鎌倉大仏は68.8%で鉛が19.6%も含まれていることから考えて、鎌倉時代に流通していた宋銭を潰して原料としたことが推測できます(宋銭の比率と似ています)。
実際の原料が宋銭だったのかはあくまでも仮説に過ぎませんが、そのままだと仕上がりは現在と同じ、青銅色になってしまいます。

「もっとも神々しいものを!」
と、源頼朝考えたのしょうか、当初は表面に金箔を貼って金ピカに輝いていたのです。
大仏の正式名は、阿弥陀如来坐像。
阿弥陀如来は「最も光明が優れ、どんなに罪深い衆生でも無条件で救うことのできるパワーの持ち主」なので、黄金に輝くのは当たり前のことなのです。
実は奈良の大仏も建築当初は金ピカだったので、大仏は金ピカというのが仏教的な常識ということに。

鎌倉大仏
よく見ると右頬に金箔の痕が!

鎌倉大仏は、かつて金ピカだった!

鎌倉大仏(高徳院

神奈川県鎌倉市長谷4-2-28
高徳院公式ホームページ
江ノ島電鉄長谷駅から徒歩10分
大仏前県営駐車場(10台/有料)

SMRT-TRIP編集部

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