かつてTBSが何回も特番を組んで探した徳川埋蔵金。それを隠したとされるのが2027年のNHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(主演・松坂桃李)の主人公、小栗忠順(おぐりただまさ)。小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)と通称されますが、その徳川埋蔵金は東京湾、久里浜沖に眠っているという説が浮上しています。
久里浜沖に蒸気船「早丸」が沈んでいる!

小栗上野介が徳川埋蔵金を隠したとする説の有力な根拠は、幕末に莫大な資金を投入し、横須賀製鉄所を築いているから。
そして江戸城の無血開城時に、城内の金蔵には軍資金がなかったため、どこかに持ち出したのだと推測されたのです。
当初TBSは赤城山の山麓と睨んで、重機まで投入して各所を掘削したのです。
平成6年の『徳川埋蔵金 大発掘 最終回スペシャル』でも赤城山、月夜野、猿ヶ京、倉賀野など北関東の8ヶ所を候補地としています。
平成29年11月15日『林修の歴史ミステリー』では「新説!徳川埋蔵金は東京湾の海底に!」と銘打って放送。
これまで赤城山周辺を埋蔵金の場所としていたTBSですが、今回は久里浜沖に埋蔵金が沈んでいるとしたのです。
小栗上野介は、幕府の御用金を横浜港から軍船「早丸」に載せて仙台へと運び、ここに東日本政府を樹立しようと目論んだという説です。
東京湾には観音崎沖に「オネーダ号」が沈んでいますが、こちらは幕府の軍資金ではなく官軍に売り渡した武器の代金ということで、埋蔵金とはいえません。
軍船「早丸」荷物にはロイド保険会社と保険契約がなされていて、その内容を見ると、横浜オリエンタル銀行から上海支店に移送されるメキシコ銀6万ドル、伊予別子銅山産出のナマコ銅塊104万斤(624t)、奥州産青銅器物140万斤(840t)などで、支払われた保険金だけでなんとメキシコ銀6万ドル、64万両となっているのです。
明治39年の徳川宗家の記録に、江戸城の大判小判16万貫(600t)を箱詰めに、加えて伊達家の大判小判12万両、福井の松平家が豊臣秀吉から拝領した黄金の灯篭1対なども載せたとあり、徳川埋蔵金が久里浜沖に沈んだという根拠になっているのです。
東京湾フェリーは埋蔵金の上を航海!?

「早丸」は、全長46m、2本マスト、418t、イギリスで製造され、アメリカの南北戦争で使用された最新型の鉄製蒸気船(しかも外輪船ではなくスクリュー動力)で、仙台藩が12万ドルで購入。
もともと藩士に航海技術を取得させようと購入したもので、兵員、武器、物資輸送に活用していました。
新政府に接収されるのを防ぐため、江戸城無血開城の5日後の慶応4年4月16日(1868年5月8日)に、横浜港(すでに開港し、居留地が築かれ、イギリス軍やフランス軍が駐屯していました)を出航、嵐に遭遇して久里浜沖の海獺島(あしかしま)と笠島の間にある暗礁に乗り上げて座礁しています。
新政府軍の目を欺くためにブルガリアの国旗を掲げていたとされているので、かなり用意周到で、それも小栗上野介の案とされる所以(ゆえん)です。
しかも見通しの悪い夕刻に出航、水先案内人を乗せていないという隠密出航というのも不可解です。
乗員のうち39人は漁船や近隣の住民たちによって救助され、死者は約60人だったというリアルな記録もありますが、目指したのは上海と伝えられ、仙台を目指したという説には疑問符も付いています。
小栗上野介は徹底抗戦を主張していたので、軍資金を「早丸」に積んで、仙台へという説には説得力があります。
もともと上海を目指したのは、カモフラージュだったからで、もともとは仙台が目的地とも考えられます。
なぜなら、仙台藩主・伊達慶邦の妻(継室)は、大政奉還を果たした15代将軍・徳川慶喜の実妹だからです。
久里浜沖に徳川埋蔵金が沈んでいるなら、久里浜港と金谷港を結ぶ東京湾フェリーは、毎日、埋蔵金の上を航行していることになるのですが・・・。

徳川埋蔵金は久里浜沖に眠る!
東京湾フェリーで徳川埋蔵金の旅を!

久里浜港(神奈川県横須賀市)と金谷港(千葉県富津市)を結び、東京湾を横断する東京湾フェリー。
「早丸」が座礁した海獺島近くを通ります。
「しらはま丸」は、ペリー来航の地を記念して黒船ラッピングという仕様です。
● 東京湾フェリー



