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『豊臣兄弟!』で大注目! 秀吉が命名した「鶯餅」が現存

餡を求肥などで包み、うぐいすの形に成型した和菓子が、鶯餅。鶯餅という名を考案したのは、大河ドラマ『豊臣兄弟!』の主人公、豊臣秀吉。弟・豊臣秀長の居城・大和郡山城で花見の宴を催した際、出された餅菓子に鶯餅と名をつけたのだとか。

『豊臣兄弟!』の兄弟愛が「鶯餅」を生んだ!

豊臣秀長が大和郡山に入城する際、豊臣秀吉に帯同し、大和郡山に入った「本家菊屋」の初代、菊屋治兵衛が開発した鶯餅。
豊臣秀長は、兄・豊臣秀吉をもてなす大茶会を催しますが、そこで菊屋治兵衛が考案した茶菓子が、鶯餅。
秀吉はこれをたいそう気に入り、「鶯餅」と命名したというのが始まりだと伝えられているのです。

実は、秀吉は、故国・尾張(現・愛知県)、木曽川の船着き場近く(現・笠松町)でも、永禄5年(1562年)、和菓子に「志古羅ん」(しこらん)と命名しているので、お気に入りの茶菓子には名を付けるのが好きだったようです。

その後、菊屋治兵衛は秀頼の居城、大和郡山城の門近くに店を構えたので、「本家菊屋」の餅は鶯餅ではなく、「御城之口餅」(おしろのくちもち)と呼ばれて親しまれるようになったのだとか。

鶯餅の色は、鶯色でない!?

「菊屋」(当主で26代目)の「御城之口餅」

現在も「本家菊屋」(当主で26代目)で売られる「御城之口餅」、駿府(静岡市)の安倍川餅と同様にきな粉をまぶした餅なので、きな粉の茶色。
その色、形が茶色の羽根をしているウグイスに似ているので、秀吉はあえて鶯餅と命名したのだと推測できます。

ところが現在、世にある鶯餅は、青大豆を使ったきな粉(うぐいす粉)をまぶすので鮮やかな黄緑色をしています。
では、なぜ、鶯餅の色は、少し派手で明るい黄緑なのか。
これは、渋い茶系の緑では、売れ行きが悪いからだと推測できます。
和菓子屋さんなら「鶯餅とはいうものの、色的に鶯を再現したのではなく、形が鶯に似せた餅」と反論することでしょう。

もうひとつの可能性としては、明治中期以降、花札の大流行があり、花札の2月の札、「梅に鶯」で、本来は梅にはメジロがとまるのをウグイスと誤解、メジロの羽根の色を鶯色と勘違いした可能性です。

豊臣秀吉が鶯餅と命名したという話に裏付けはありませんが、もし、それが史実なら、誕生当初はきな粉の茶色だったことに!

一般的な鶯餅は鮮やかな黄緑色

『豊臣兄弟!』で大注目! 秀吉が命名した「鶯餅」が現存

本家菊屋
ほんけきくや

奈良県大和郡山市柳1-11(本店)
天正13年(1585年)創業
本家菊屋
御城之口餅6個入り800円
(左の写真の『豊臣兄弟!』特別バージョンは2026年12月まで販売予定)
本店のほか、奈良店、近鉄奈良店、橿原店、真美ケ丘店、生駒店、学園前店があります

SMRT-TRIP編集部

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